まるでオモチャのように小さく 鉄板も薄い
砲撃を受けたらひとたまりもない
こんな戦車で戦わざる負えなかった日本兵は 本当に可哀想
・・・アメリカ海兵隊の戦史局はサイパン戦での日本軍を「日本軍は最後は膝を屈したが、それでもよく戦った。世界中の兵士を比較した場合においても日本兵の粘り強さは最高水準にある。それは狂信的とも評価されるが公正な評価とは言えず、『実に素晴らしい愛国心』と評価すべきであろう。いずれにしても日本軍はどのような国とでも誇り高く戦える特徴を有していた。」 とサイパンでの日本軍の戦いぶりを評価する・・・ wikiより
慰霊碑の向こうの岸壁を見ると 砲撃の跡が見える
艦砲射撃で 上陸前の6/11から15日までに
平均60kgの砲弾を
13万9000発打ち込まれ
連日1000機を超える艦載機の攻撃を受けた
まるで何もなかったように
生い茂る
子供たちも
深く感じるものが
あったようだ
・・・スプルーアンス大将や、ターナー中将などマリアナ攻略作戦の指揮官や幕僚らは、サイパン戦での日本軍の頑強な抵抗とその持続力に畏敬の念を抱き、サイパン上陸部隊の死傷率は最終的に20%を超える高い確率となり(アメリカ軍が恐怖と呼んだタラワの戦いと同じ死傷率)今後はサイパン戦で立証された通り、戦いは長引き、そして多大な犠牲を強いるようになると確信した・・・wikiより