那智の御瀧 飛龍神社の由来
神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと・後の神武天皇)は太平洋から那智の滝を遠望して那智の浜に上陸、ヤタガラスの道案内によって大和に辿り着いたといわれる。
神武東征で、八咫烏は瀬戸内海から近畿に進もうとした神日本磐余彦命の道案内を務めた。神日本磐余彦命は、当初、西から大阪に攻め入ったが上手くいかず、(太陽神である)天照大神の子孫の自分たちは日に向かう(西から東へ)のではなく、日を背にして(東から西へ)攻め入るべきだと考えた。大阪湾から紀伊半島を大きく迂回したところ光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行った先で那智の瀧を探りあてられ、その瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れたる御神体としてお祀りされた。その後、吉野を経て大和の橿原に入り初代天皇、神武天皇として即位された。
神武東征を含めこのあたりのことは長浜 浩明氏の本が詳しい。
アマゾンレビューを見れば分かるが怪しい本ではありません。
長浜 浩明氏の本は全て根拠を明示しているので説得力があります。
「国民のための日本建国史 」
神武東征から邪馬台国「謎」の時代を解き明かす
改訂新版
長浜 浩明(著)
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