あさのTVで紹介されていた、
一本(房ではない)648円以上で即日完売。非常に美味しく皮まで食べられるという。
http://www.tbs.co.jp/asachan/asatoku/20170509.html
岡山県産の「もんげーバナナ」
農業未経験の人が、
「バナナを作りたい」と言う情熱だけで、ここまでやってしまったと言うお話。
少し前だが日経電子版の記事がある。
日本がバナナ輸出国になる日
2016/11/25 6:35
日本は世界有数のバナナ消費国だが、99%以上は輸入に頼っており、年間96万トンがフィリピンなどから輸入されている。そんなバナナを日本で生産できないか。長年研究を続けていた岡山の農業法人が、このほど凍結解凍覚醒法という独自の手法で、国産バナナの栽培に成功した。今後、国内でバナナの生産が広がれば、日本がバナナ輸出国になる日がくるかもしれない。
■氷河期の環境を再現
田中氏は40年かけて、凍結解凍覚醒法という独自のバナナ栽培方法を開発した
岡山市にある農業法人D&Tファームの実験農場を訪れると、簡素なビニールハウスの中でバナナが収穫寸前の大きさまで生育していた。「通常ならバナナは収穫まで2年かかりますが、ここでは4カ月ほどで収穫できます」。技術研究責任者の田中節三氏(68)は自信を見せる。
田中氏は40年かけて、凍結解凍覚醒法という独自のバナナ栽培方法を開発した。バナナの苗をいったんマイナス60度に凍結し、解凍したものを植える。今から2万年前、氷河期が終わり徐々に気温が上がっていく過程で、植物は長い冬眠から目覚めた。氷河期が終わった直後は熱帯でも日中気温が12~13度、夜間気温はマイナスだった。バナナはその気温下で氷河期の冬眠から解放され、繁殖した。もともとバナナには日中気温12度で繁殖できる能力があるのに、今は熱帯でないと育たない。田中氏は凍結、解凍によって人工的に2万年前の状態を作り出し、バナナという植物が本来持っている能力を引き出そうと考えた。
造船会社、海運会社を経営する傍ら、実験を繰り返し、失敗に次ぐ失敗を重ねて40年。その間に投じた私財は5億円に達したというが、ようやく国産バナナが収穫できる体制が整った。農薬も遺伝子組み換えも一切使わないため、安全面からも注目されそうだ。
■新たな伝染病の危機
バナナは明治時代後半に台湾から輸入され、大正時代から門司港での「バナナのたたき売り」など通じて、広がっていった。戦後1950年代から輸入が再び拡大したが、60年代に入って台湾バナナの供給が止まった。当時の品種はグロミシェルと呼ばれるもので、甘く、ねっとりした食感があった。この品種がパナマ病という伝染病で絶滅した。現在普及しているのはキャベンディッシュという品種だ。最近、新パナマ病という新しい伝染病が発生し、キャベンディッシュも将来、生産量が大きく落ち込む懸念が出ている。
田中氏が栽培に成功したグロミシェル種のバナナ。甘さやこくが強い
田中氏が栽培に成功した品種はグロミシェルをもとにしており、現在流通しているバナナに比べると甘さやこくが強い。2017年から大阪の大手化学会社、エア・ウォーターが田中氏の苗を使ったバナナ栽培を開始する見通しだ。鹿児島県南九州市も地域の農業法人を通じて、国産バナナの栽培を始める。世界も注目しており、バナナ大手のドール社から、将来の共同事業展開を前提にした提携の打診が来ているという。会社は設立から1年もたっていないが、将来性に注目した地元銀行が無担保無保証での融資を申し出て、ビジネスとしても動きだした。
田中氏は凍結解凍覚醒法によってパパイヤ、カカオ、マンゴスチン、カシューナッツなどの栽培、収穫にも成功している。今後、休耕田を活用し、全国でバナナ栽培が始まれば、4~6カ月程度で収穫できるため、大きな産業に育つ可能性を秘める。「全国の休耕田の3割でバナナ栽培ができれば、市場規模は6000億円になり、20万人の雇用が発生する」(大阪の農業法人支援会社、グリーンプラネット・パートナーズの半田貴裕代表)との試算もある。
■国産化、努力の歴史
岡山名産のマスカットも、元は中東・オマーンの首都であるマスカットが原産地といわれるが、今や日本を代表する高級フルーツになった。レタスもかつては日本で栽培されていなかったが、戦後、国内で広まり、今や食卓に並ぶのは国産レタスが大半だ。バナナも同じ歩みをしないと誰が言い切れよう。
田中氏の夢は小麦、大豆、とうもろこしなども凍結解凍覚醒法によって品種改良し、シベリアで栽培、収穫することだ。「シベリアは水が豊富で土壌も肥沃。あの寒さの中で収穫できれば、世界の食糧不足は一気に解決する」(田中氏)。日本がバナナ輸出国になる日は決して夢ではない。
熱帯の新パナマ病の対策は今のところないそうだ。
日本ならば気温的に発生しないという。
地球は過去何度も氷に覆われる氷河期を経ているのだから、
生き延びた種子には耐える力があるはずだと信じて40年、
5億円つかってもあきらめず、
研究しつづけて日の目を見たと言う。
凄い人だ。