天界入路

人の心が少し温かくなって、 気持ちがちょっと優しくなる様な写真を載せていきます。 写真による小さな感動、しみじみとした気持ちを目指して行きたいです。 その為の撮影機材の話や、撮り方などの大事なコツをコンパクトに、作品としての解説などもを交えて書いていきます。

「英国人記者が見た 世界に比類なき日本文化 」ヘンリー・S・ストークス、加瀬 英明

NIKON D70 AF DX Fisheye-Nikkor 10.5mm f/2.8G ED 「英国人記者が見た 世界に比類なき日本文化 」 ヘンリー・S・ストークス、加瀬 英明 ・正座するようになったのは江戸時代に入ってから。それまでは茶の湯の席でも胡坐をかいていた。 千利休の全身像を描いた掛け軸が三幅伝わっているが、すべて胡坐をかいている。 ・全国に寺子屋が二万軒あまりあった。少年少女ほぼ全員が、読み書き算盤のほか行儀、農業、漁労など地元の産業について学んだ。当時の教科書であった往来物が7千種以上残っている。全て地元の人の手作りで、幕府にも藩にも教育を担当する役人が一人もいなかった。 ・江戸幕府は身障者の保護に手厚かった。 盲人だけが金貸しを営むことを許された。勝海舟の曽祖父は農家の子で、全盲の按摩師だった。そのかたわらで金貸し営んで小金を貯め息子に最下級の武士の株を買った。 ・盲人に鍼按摩を教える職業訓練所を全国30ヵ所に開設したが、ヨーロッパの最初の盲人学校に比べ100年以上早かった。 ・塙保己一はなわ・ほきいち)は、農家に生まれ幼少時に失明した。保己一は人が音読したものを暗記して学び江戸時代を代表する大学者になった。(「群書類従」666冊) ヘレンケラーは来日した折、真っ先に保己一の記念館を訪ねた。幼い時から母親に、東洋の日本に塙保己一という大学者がいたと言うことを聞かされ、手本にして努力したという。そこに置かれた保己一の机を案内人よって促されるまで感慨深げに撫でたという。 まだまだ続きますが、 へーと思ったことの一部です。