Nikon D4S
AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VR II
閃輝暗点を知っている方はまずいないと思うが、
先ほどまた起きた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%83%E8%BC%9D%E6%9A%97%E7%82%B9
一ヶ月ほど前に初めて起きたが、
何のことやらさっぱり分からず、そのままにしてしまったが、
頭がぼーっとした感じは3時間以上たっても未だ続いている。
明日はさすがに病院に行って見るつもりだが。
母も亡くなり、義理の母もボケはかなり進行してきている。
自分も父の亡くなった歳はとうに過ぎている。
もういつ亡くなっても、有り得ない歳ではない。
このサイトも、
自分の人生のまとめという気持ちがあったからこそ始められたと思う。
丁度そばにいた妻と息子に、
自分に何かあった場合は、
このサイトに告知をして欲しいと伝えた。
書き込みの仕方も教えた。
曽野綾子さんの「透明な歳月の光」の「震災から5年」に
『・・・5周年の報道には違和感もある。最大のものは、日本人が「人生には不運がある」ということを認めなくなったことだ。』
という一文があった。
『・・・関東大震災、大東亜戦争、空襲、4~5年続いた終戦前後の国家的貧困があった。
当時の人生は、50年かそこらだったが、それでも当時の人は誰もが一生に一度や二度は、思いがけない災害や不運に見舞われるもの、と覚悟していたのだ。それが人生だという思いは、今も私の中で変わらない。一生、親も早く亡くさず、大病もせず、いわゆる挫折全般を体験せず、順調に生きられるなどということはほとんどあり得ないことなのだ。・・・(中略)・・・人生には必ず「予想外のこと」はついて回る、と覚悟した方がいい。』
夕方になぜか突然ピンクフロイドの『原子心母』が脳内に流れてきた。
https://www.youtube.com/watch?v=Fku7hi5kI-c
ユーチューブで再生していたら、息子が嵐の曲よりいいとか言ってきた。知ってるのと聞くと盛り上がる部分は細切れで聴いたことがあるという。名曲だねとか言っている。今時はこんな長い曲はありえないと思う。当時はこんな不安を掻き立てる曲が流行ったのだ。未来がどうなるかわからない不安が70年代にはあったと思う。しかしそれは単に自分が若かったからなのだろうか? 現代のほうが信じられない人や事件、社会の怖さ、或いはテロなどという想定外のことも頻繁にニュースになる。ひどい時代になったとは思うが、未来がどうなるかわからない不安という風には感じない。困ったものだとか、どうすればいいのだろうとは思うが。経験が豊富になったからなのか、或いは単に歳を食ったということなのかもしれないが。この曲もラストは希望が感じられるイメージだから救いがあるが、現代にもこの曲の構成が果たして通用するのだろうか?