ムガール帝国第5代皇帝 シャー・ジャハーンが建造 1639-48年だから日本で言えば江戸初期の頃 ラール・キラー(赤い砦)と呼ばれる ここから帝国の要諦ラーホール(現在はパキスタン)まで続く道が始まる かって皇帝が居る時は 日に5回音楽が奏でられ ルビー・サファイア・エメラルドなどの宝石がはめ込まれていた玉座があり 「地上に天国があるものならば、それはここだ」と詩に謳われた
しかし6代アウラングゼーブ帝の後、地方勢力やイギリスの台頭で帝国は力を失い、皇帝はこの城だけが領土の無力な存在になり果てた。そして1857年に起きた「インド大反乱(セポイの乱)」で、反乱軍が皇帝を担ぎ出したために、イギリス、反乱両軍の侵攻略奪を受け、華麗な宮殿は破壊された。現在見られるのは、そのときかろうじて残った部分に過ぎない・・・
地球の歩き方より
https://www.arukikata.co.jp/city/DEL/spot/1/5165/